友人の父上が亡くなられた、との告知メールが入りました。
わたしの父は84歳の大往生でしたが、友人の父上も正に
大往生です。合掌
息子の出来が悪いのにもかかわらず、オヤジが大往生したのは
それこそオヤジの生前の徳が息子の不出来をカバーして余りある
からでしょう。友人も小僧もしっかり反省せねばなりません。
もう遅いですね、しんちゃん!!
小僧がバンコクに生活の場を移つせたのは、家族の理解も
さることながら、両親が亡くなっていたこと、つまり逆らう親が
あの世に行ってしまっているので、不出来の子供が何の抵抗も
なくスルーできたのです。
しかし、よくよく考えてみれば、いよいよ次は我が番なのですね。
何の番、つまり往生する順番です。
あまり早く亡くなると、子供の印象にオヤジの遺徳をすり込む間がないですし、
かといって、ボケが始まるまで生き残ると、遺徳も霞んでしまいます。
老後、女房の健康や女房との幸せな生活の営みも考えなければなりません。
バンコクへ来て、還暦過ぎて、先祖返り、子供返りを楽しんでおりましたが、
日本へ戻ってからは、人生の背水の陣を構える必要に迫られております。
・・・・・よくよく苦労性の性格なんでしょうか・・・「ん」
・・・・・バンコク生活もあと半年か?な?