◇陶冶:陶器や鋳物をつくることやその職人を言うが、陶冶するとなると、人間が鍛えられることをしめしている。つまり、一芸またはひとつの職業にぬきんでるためにはひとかたならぬ鍛錬が必要で、そのことを通じて人間が鍛えられることである。さて、タイに移り住んで「陶冶」」されたなと思えるようになるには・・・、タイ人社会に存在を確認できることが基本前提になるだろうが、やはり、まず社会参加して言葉をマスターしよう。
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◇今日の日経新聞に、石原産業の6価クロムの違法投棄によって、白い土から赤い廃液がにじみでてきていることを「まがまがしい(禍々しい)」と表現していた。異様な様をあらわしている言葉である。まちがえても、タイでの生活は「まがまがしく」ならないように心してかかります。
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◇タイ語の学習を進めているが、これといったカリキュラムを用意していないので、手持ちの本を状況に応じて使い分けている。本人には全体のコースをどう設計すればよいのかがわからないのだから、いたしかたないやり方である。それでも、しつこく続けていると、前項と後項の関係や品詞と品詞の接続要領が少しづつ記憶に残ってきた。やればできるんだ、とわが身を励ましておる次第です。バンコクでは、タイ語学校を回って「1 コースの全容」「2 カリキュラムと教材」「3 先生と教授時間の設定」を聞いてみよう。