習わぬ経は読めぬ、と言います。
タイ語の読み書きを2年間勉強しましたが、読めないタイ語は
相変わらずありますので、習っても読めない、のはぁぁ情けない!
ここで反省然、毎度のことですが。
習った英語がしゃべれぬ。
習ったタイ語がしゃべれぬ。
習ったドライバーが飛ばぬ。
習ったパターが3パット・・・。
ところで、門前の小僧習わぬ経を読む、とは言いますから、
学校に通わなくとも、日ごろの生活にお経がついてまわれば、
丁稚ドンでもりっぱなお経をあげるようになるのでしょう。
整然と考えれば、習う習わぬではなく、
日ごろの生活になにかと関与さえすれば、丁稚ドンでも小僧でも、
しゃべれたり、飛んだり、入ったりするようになるにちがいないので、
ここは諦めずに日頃からゴルフクラブを握るよう・・・、タコ社長にお薦めします。
バンコク小僧の場合、マッサージのおばさんとの挨拶がわりの
会話では、『 僕ね、タイ語を勉強して小学2年生の資格なんよ! 』
と言いますと、 「あんた、えらいね。読み書きできる人、少ないェ!」と京都弁?
そこで小僧はかまします。 『 小学校3年の試験は落ちたんや!』
これで、おばさんは破顔しておオ笑い。場は大ウケ。
学校で習わぬおばちゃんウケだけは・・・・習わぬ経を読むようになりました。
これが、いろはカルタ「習わぬ経は読めぬ」の本来の意味するところであります。
習わぬ文字のTシャツを着たタイ女性